2005-10-01から1ヶ月間の記事一覧

アルテーミス神殿跡

エフェソス遺跡の構内をでると松林が続いていた 松は極めて日本的ものと思っていたのだが 認識不足であった 日本の松は病虫害の被害を受けて少なくなっている ここでも松は病虫害に弱いらしく 幹に石灰のようなものを塗ってある 歩くことしばらく アルテーミ…

エフェソス5

2万4000人収容できたと言われる 大劇場に来た なるほど大きい ローマの政策として パンとサーカスと言うのがある 民衆をひきつけておくには 十分なパン(食料)とサーカス(娯楽)が必要であると言う政策である ローマにあるコロシアムと同じようなものを …

エフェソス4

エフェソス遺跡の中で 代表的ランドマークともいうべき図書館の遺跡に来た 大理石で美しく飾られ 堂々たる建物である 当時中に収められた本は パピルス 又は 羊皮紙であったろう そして一冊 一冊 手書きのものだったろう その本は 中には無かったが 学問の殿…

エフェソス3

旅行社は 無線のマイクとレシーバーを用意していた ガイドがマイクを通して説明すると ツアー客が持っているレシーバーとイヤホンで聞く 周囲がざわついていても 説明が聞こえるためである だが機械が故障してしまった 人数が少なかったので ガイドの生説明…

エフェソス2

どうもよくわからないことがある エフェソスのように トルコの地でどうして古代ローマの遺跡を見ることができるのか 調べてわかったことは これは ローマ帝国が広大な地域を支配していた 西はイギリス 東はトルコもローマの支配下におかれた そして 出先機関…

エフェソス

エフェソスとは 聖書のエペソ人への手紙 のエペソのことである BC11世紀のころからあったが 残っている遺跡はローマ時代 BC3〜4世紀のものだと言う とにかくいろいろな遺跡が次から次とあり おぼえきれない 聖書に出てくるイチジクの木が廃墟に生えていた …

現地人ガイド

9月24日パムッカレのホテルを後にして エフェソスへ向かう 200kmの旅程である バスの走っている間 ガイドがいろいろと説明してくれる 驚くのは 現地トルコ人ガイドの日本語力である 四の字熟語とはじめ 駄洒落まで日本語でやってのける しかも日本の…

ホテルの食事

バスの行程が長かった ホテルに着いて 例によって 部屋を決めて 荷物を置き 食事となる この形式はいつも同じだ 夕食と朝食はいつもバイキングスタイル 旅行社 阪神航空の選んだホテルのバイキングは盛りだくさんで豪華な感じがした でも なにをとるかを考え…

ヒエラポリス

パムッカレとすぐ隣り合わせに ヒエラポリスの遺跡がある 2つを合わせて 世界複合遺産となっている ヒエラポリスはかなり古いもので 紀元前2世紀から パムッカレの温泉を利用して栄えた都市だった その後地震があり一時崩壊するがローマ時代に再建された …

パムッカレ2

ガイドブックなどに載っている パムッカレの写真は 棚田 というか 段々畑のような 棚状になった石灰でできた水溜りが連なっているものだ 前はそこまで足を踏み入れることができたが 保護のために 上からだけの観察なってしまった 上から その石灰の棚を撮影…

パムッカレ

何回かトイレ休憩をして やっとパムッカレについた パムッカレとは 綿の城という意味で 見ると真っ白な石灰に覆われていた 規模は想像していたより ずっと大きかった 日本の温泉のようなにおいがした 確かに 流れている水は手をいれると暖かく温泉だった 温…

休憩

バスが長い距離を移動するとき 適当なところでトイレ休憩なるものがある トイレは有料のもの 無料のものがある 100円=1.3YTL(新トルコリラ)であり トイレ使用料は0.5YTLぐらいである トイレ休憩で立ち寄ったところは ちょうど新装開店というところ…

メヴラーナ廟

この時代(日本なら鎌倉時代) コンヤの地にメヴラーナという 詩人で 哲学者で 宗教家でもある人が現れる 彼は イスラム神秘主義の一派 メヴラーナ教を創設する 音楽にあわせて 無心に体を回転しながら 無想の境地に入り あらゆる束縛から逃れて 神と一体にな…

陶器博物館

日本の歴史は 日本人の間で起こした興亡の歴史であるが トルコの歴史はいろいろな民族の興亡の歴史である ローマの支配 ビザンチンの支配の後 遊牧民だったセルジュックトルコが興り コンヤに首都を構えた 11世紀ごろである 9月23日朝 そのコンヤを見て…

隕石口

トルコ人のガイドが めずらしいものをご覧に入れるという これはガイドブックには書いていない また私も最近 知ったものですという どうも 知る人ぞ知るといった類のものらしい そこは もう1つのキャラバンサライだった ただ 荒れるに任せて保護してないよ…

隊商宿

シルクロードというとキャラバン(隊商)を思い出す キャラバンの1日に移動可能な距離は30キロであったという だから30kmごとにキャラバンサライ(隊商宿)があった その中で最も保存状態のよいと言われるものに案内された 前の方に人間の宿泊所 奥の方に…

有名スポット

絨毯工房を出た後 バスは再び カッパドキアの中を通る 絵葉書や旅行案内などにでている有名スポットを見るためである これらの奇岩はどうしてできたのだろう 昔火山が噴火して 火山灰 火山礫 火山弾などを降り注いだ 長い間にこれらは固まり凝灰岩と言う岩石…

絨毯

お昼にかなり充実した食事をいただいた後 絨毯工房へ案内された 絨毯の手織りの行程では 織子さんが 羊毛を使ったもの 絹を使ったひどく細かなものなどを織っていた これは大変な時間と技術が必要であることがわかった 絨毯やキリムが高価なのは 彼女たちの…

洞窟教会

トルコは 今は イスラムの国で99%の国民がイスラムであるが 昔はキリスト教の国だった トルコにキリスト教をもたらしたのは聖パウロである そして4世紀ごろ 修道士が凝灰岩に洞窟を掘りはじめて教会をつくり みごとなフレスコ画を洞窟に残した その後教…

SF映画の背景

カッパドキアという名前はどう言う意味なのか SF映画の異星の惑星の景色を思わせる景色のことに関係があると思っていたが 古代ペルシャ語で 美しい馬の国という意味なのだそうだ 大昔 馬の産地だったのか? とにかく面白い名前なのでおぼえやすい トルコ観光…

地下都市

9月22日早朝 バスはカッパドキアのカイマクルという地下都市を訪れた いの一番に着いたので まだ入り口は鍵がかかったまま しばらくして人が来て開けてくれた キリスト教徒がイスラム教徒の迫害から逃れるために秘密の都市であり 蟻の巣を思わせる構造で…

トルコ石

団体のツアーに参加すると 買い物の時間というのがある バスが次に止まったのは AGADというトルコ石の店だった 入ると店員による日本語の説明があり それから トルコ石を見て店員と交渉して買い求める 私は家内からトルコ石はすでに持っているから いらない…

大塩湖

アンカラからカッパドキアに向かう その途中に大塩湖(琵琶湖の3倍)がある トーズ湖という トーズとは塩のことらしい 遠くからみると白っぽく光っている感じだ 観光客のために踏み均した1本の道がある 道はかなり遠くに続いているようだ この湖には入る川があ…

霊廟

博物館見学を終わり アタチュルク霊廟にむかった アタチュルクというのは建国の父という意味だそうで 近代トルコをつくったケマル パシャのことである 彼はスルタン王政を廃止して 共和制として最初の大統領になった そして政教分離の国家を実現した これは…

ミダス王

見たものの中でどうも不思議なものがある 博物館にあったミダス王の棺と言うのがそれだ 私が知っているミダス王といえば 神様に頼んで手で触るものすべてを黄金に変える能力を持たせてくださいと頼んだ 神様を彼の願いをかなえてやった 彼は空腹になって食べ…

博物館

9月21日 トルコの首都である アンカラから観光が始まった まず アナトリア博物館の見学 これはトルコに4000年も前から住みついた ヒッタイトという民がいて 遺跡からいろいろのものが出土している 数多くのものから 私はヒッタイトが世界で最初に鉄を使った…

到着

約12時間かかって インスタンブールに着いた だが これだけでは終わらない 約2時間の待ち合わせの後 国内機にのりかえて アンカラに行かなければならない これが1時間 アンカラ空港に着いたのはトルコ時間23時 成田を発ってから 15時間経っている その後バ…

時差

太陽がいつまでも高いのである これは西へ行く飛行機に乗ると 飛行機が沈む太陽を追っかけるように飛行するために起こる もちろん太陽のほうが速いので いずれ 日暮れを迎えるが それまでかなりの余計な時間がかかってくる 私は時間を日本時間に合わせてある…