2006-10-01から1ヶ月間の記事一覧

石焼ビビンパ

お昼の時間である バスの中で添乗員が お昼を食べた後 ホテルで休まれますか?と聞いてきた 足の具合を心配したのだ 私は “昨日より かなりいいので皆さんと ご一緒します”と言った 痛さは依然として残っていたが 実際にかなり回復している様だし それに1人…

ロッテワールド免税店3

店内は免税店であるから シャネル エルメス ルイヴィトン などの有名ブランドが 安く買えるとのことであったが 私には猫に小判で 小物などを主に見ていた お土産にと チョコレートを見ていいたら 韓国特有というので 唐辛子入りのチョコレートを薦められた …

ロッテワールド免税店2

添乗員の話によるとロッテの免税店は 日本の観光客がたくさん来るので 店員はみな日本語ができ 安心して買い物ができます とのこと 買い物客の大部分が日本人なのであろう なるほど 韓流ブームで人気のある 俳優たちの写真が 店のあちこちに飾ってある ロッ…

ロッテワールド免税店

ロッテといえば 昨年日本一になった千葉ロッテマリーンズを思い出す ロッテの監督はヴァレンタイン 今年日本一になった日本ハムファイターズの監督はヒルマン 2年連続で 外人監督が実力を見せた 韓国にもロッテの球団が存在する チーム名はロッテジャイアン…

ハングル

水原からソールに向かう まずは ロッテワールド免税店に行くためである バスに乗りながら 絵文字とハングルとno smoking と書いてある掲示板を見ていた ハングルとは表音文字で 字そのものには意味がない でも 日本のカナとは違うようだ カナは1音と1対1…

李王朝(水原華城4)

城壁に沿って しばらく歩くと 蒼竜門という 4大門のひとつに出た 後の観光は省略となる 大体のことはわかったが 後で地図を見ると 歩いたところは 城のほんの1部だということがわかった 城の中に華城行宮という 宮殿があり その中でTVドラマ チャングム…

李王朝(水原華城3)

このころ西洋の文化知識が入ってきた その知識を応用して 韓国の科学者は 独自に錘を使って重いものを持ち上げる起重機を造り 華城の建設に用いたという 最初 遠くに見えていた望楼の一つ 空心墩*1に着いた この空心墩には兵士が中に入って敵を見渡せるよう…

李王朝(水原華城2)

李王朝のことをもう少し述べると 高麗時代の仏教による腐敗を考慮して 儒教を国是の中心として 首都をソウルに移した 第4代の世宗大王は名君であり 漢字が読めない人が多いことを嘆いて ハングルをつくった 水原華城ができたころは 李王朝は最盛期であった…

李王朝(水原華城)

全国統一の新羅を倒して高麗が起こるが その高麗もモンゴルの侵略を受ける そして モンゴルの傀儡になった高麗は文永年間に フビライの国書を持参して 日本にモンゴルへの礼を尽くすことなどを促す 日本の拒否に会い 蒙古襲来となる 高麗はフビライの命によ…

朝食

朝 足は昨日よりかなり良くなっていた やれやれ 良かったと 身支度を整えてしばらくすると 添乗員から電話がかかってきた 足はどうですか?朝食の時間ですと言う 朝食は7時半でしたよね と言うと 7時ですと添乗員 間違えておぼえていたらしい どうもミスが…

温泉

夕食の後ホテルにもどる ここの温泉は11時までやっていますのでゆっくりは入れますとのこと それではと 皆は街に買い物などに出かける人が多かった 足が やはり 痛いので そんな気になれないので部屋に戻った さてと もし捻挫ならば 冷やした方がいいのか…

プルコギ

NHKテレビを見ていて 誰が官房長官かわからないまま時間が来たので ロビーに出かけてみると 皆が集まっていた 近くのレストランに歩いて行く 足の方は重症でないことがわかり 気が軽くなったせいか 良くなった感じである 助かったと安堵していた プルコギ…

ホテルに着く

バスに乗ると 1時間半ぐらいで 牙山にある温陽(オニャン)温泉に着く 韓国は地震もなく火山もない どうして温泉があるのだろう 温泉は活火山にはあまりなく むしろ死火山にある なるほど 三原山や富士山にはなく 箱根など死火山に お湯が出ている 韓国にも…

百済13

古墳群を後にして すこしバスに乗る 着いたところは 国立公州博物館 主に 武寧王の古墳からで出た 金の飾りなど 重要文化財に属するものを飾ってある 大変きれいな博物館である ただ 前にみた地下博物館に似ている 足が痛いので 簡単に見て回る やはり支障が…

百済12

展示で もう一つ印象に残っているものがある 青銅の神獣鏡である 直径17cmとテレビで見た 日本で よく出土している三角縁神獣鏡より小さい感じであった 日本のものと 百済のものとは どのような関係があるのであろうか ? これは観光案内などでは とても…

百済11

博物館の中はきれいに整備されていて 見やすかったが 時々 墓の空間を再現しているので その狭い入り口から入る時 苦労をした このことを 友人のK氏に話した時 K氏は 日本の高松塚古墳もそうすべきだった 外に文化財を移して 中を展示室にした方が 黴で劣…

百済10

公州は今まで述べてきた扶余より 古い百済の都である つまり 公州にいた百済が 隣 国 高句麗などの圧力で 扶余に遷都したのだ この公州時代の百済の名君が 25代の武寧王で 大和朝廷との国交を開き 博士の派遣などを行って 対日交流に貢献した この武寧王と…

百済9

バスから降りて 着いたレストランでチゲという鍋料理を食べることになる 韓国版ちゃんこ鍋といったところか しかし食べる場所は椅子席でではなく韓国式の座敷で食べる 畳の代わりに 一枚続きのビニタイルのようなもので床ができている そこに座布団を敷いて…

百済8

足の具合は休憩のあと 動き出す時 大変痛い 動き出してしばらくすると すこし良くなる 皐蘭寺からは 白馬江の船に乗るという 船着場までは 下り坂である 下りは 足にきついので 大変であったが 写真屋さんの肩を借りて降りる 彼だけでなく 他の人も手を貸し…

百済7

百済が敗北した時 遺臣の一部が日本に逃れた 彼らは 仏教文化や優れた学問など 日本に紹介することになり 日本の文化教育史上大きな役割を果たした 落花岩には もう一つの遺跡 皐蘭寺(コランサ)という寺がある これは百済時代のものではなく 後世の高麗時…

百済6

さらに しばらく歩く 登り坂道はいいのだが くだりの坂道は足が痛んだ くだりになると 写真屋さんが肩を貸してくれた こんなことで 落花岩という 遺跡にたどり着いた その上には 百花亭というお堂のようなものが建っている 新羅と唐の連合軍に攻められたとき…

百済5(転倒)

道は 急なところはなかったが 上がったり下がったり 足元は石が敷いてあったが これが不揃いで 実に 歩きにくい 何とか 後ろの方から皆についてゆく 事故はこのとき起こった 斜めになった石を踏んだのである とたんに 足首が がくりと斜めに曲がり 体のバラ…

百済4

山道は森林に囲まれている 先頭の人たちが 足を止めた 何事とかと思っていたら リスがいるらしい チーチーというようなリスの声らしきものが聞こえる 私には何処だかわからなかったが 人々の指し示す方向を見ると リスの尾が見えた さらに もう1匹2匹と見…

百済3

私の認識では 韓国は寒いと言うことだった しかし いざ出かけてみると かなり暑かった 扶蘇山城への道は だらだらした坂が 長く続く 暑いのでのどが渇く バスガイドの添乗員が ここで一休みしましょうといってくれた 助かった 茶店があり お土産や ドリンク…

百済2

定林寺跡から さらにすこしの間バスに乗る ガイドさんは 次に訪れる これも百済の山城であった扶蘇山城(プソサンソン)の説明をしてくれる 癖のある日本語である 耳の悪い私には 所々わからない ガイドになるには 大変な努力が必要で 10倍の倍率を突破し…

百済

朝ごはんを食べた後 大都市 大田(テジョン)にあるユソン温泉を後にして バスに乗り扶余(プヨ)という百済の都に行く 百済と日本の関係は深い 百済が 新羅と唐の連合軍に攻められた時 百済を助けるべく日本から派兵している ところがこの 百済 日本の連合…

朝食

欧米のホテルだと 朝食はホテル内のレストランで ヴァイキング スタイルであることが一般的である 韓国の場合 朝食を食べに 外のレストランに移動する これは昨日の晩でも 遅く着いた時には ホテル内で食べるのが一般的なのに 韓国では外食であった 何回も韓…

パソコン

朝の集まりの時間まで 時間があったので 居間においてあった パソコンを つけてみた 日本と同じ ウインドウズの画面がでてきた クリックして イーメールの画面を出した ここから 日本の自分のパソコンにメールを送ってみることにする 外国へメールを送ること…

スイートルーム

夕食が終わったのは ほぼ8時に近かった バスに戻り すぐ近くのホテルに向かう 添乗員が 温泉は大体8時で終わりですという それでは温泉に浸かるということなど できるはずが無いではないか その代わり 朝の5時から入浴可能ですので 朝 利用してくださいと…

韓国式しゃぶしゃぶ

夕方になって バスが儒城(ユソン)温泉に着いた 日本の温泉だと鬼怒川温泉に代表されるように 眼下に谷川がみえて 景色の良いところという印象が強い しかしここは まったくの町の中だ 荷物を持って ホテルに行きそして食事と思っていたら 皆が荷物を置いて…