百済

朝ごはんを食べた後 大都市 大田(テジョン)にあるユソン温泉を後にして バスに乗り扶余(プヨ)という百済の都に行く 
百済と日本の関係は深い 百済が 新羅と唐の連合軍に攻められた時 百済を助けるべく日本から派兵している ところがこの 百済 日本の連合軍が 新羅 唐の連合軍に大敗する 663年の白村江(はくすきのえ)の戦いである これによって百済は滅亡してしまった 
現在はどうか知らないが 昔 私が歴史を習った時は 白村江の戦いは教科書になかった 日本軍が負けてことは 教えたくなかったのだろう 
このことは 韓国の人にもあまり知られていないようだ ガイドに聞いて見たら あいまいな答が返ってきた 日韓の連合軍が かつて 存在したと言うことは 都合の悪いことなのかもしれない
まず 訪れたところは 定林寺跡(チョンニムサジ)昔は金堂をはじめとして いろいろと伽藍があったのだろうが 今は五重塔と講堂が残るのみ 百済王により建てられたもので 建てられた時代は日本の飛鳥時代に当たるそうである
残っている五重塔と講堂
 講堂の中には石仏が残っている