神の存在

私の弟は四谷にあるJ大学に通っていた J大学はドイツ系のカトリックの大学で 弟から ボッシュ とか オバーメーレン などドイツ人教授の講義を受けたことを時々聞いた覚えがある その彼がいつだったか 神の存在についての理論を話してくれた おそらく大学の教授から聞いた話なのだろう
はさみ とか 紙 茶碗 などなぜ存在するか これは 切るため 書くため 食べるため などの目的のため作られた 存在の背後に目的がある 
しかし 石ころ 木 山 など人間が目的を持って作ってつていないものもある でもそこに存在するというのは その奥に存在の目的があるのではないか では目的を下した人物とは誰であろう もちろん人間ではない ここに万物を想像した神の存在が考えられる
なるほど 
弟は昭和3年の生まれで私より3歳若かったが80歳で亡くなってしまった その兄貴はこうやってブログなど書いているが 弟の死は大変なショックであった
自然科学が発達した影に 錬金術 永久機関などの発明の情熱があった がもう1つは神の存在の証明があった 万物を造ったのが神であるならば その神の意思の痕跡を何とか見つけることができないものかと あらゆる努力をしたが成功しなかった
ニュートリノなどの素粒子が人間のつくったセンサーに検出されたが 神は超自然的な存在なので人間の作ったセンサーでは検出されないのかもしれないと 錬金術(極めて少量なら可能)や永久機関が不可能なのと同じに自然科学での神の存在の実証には失敗している