開戦

80年前の12月8日 ラジオから 臨時ニュウスが伝えられた 

大本営陸海軍部発表 帝国陸海軍は8日未明 西太平洋において アメリカ イギリス軍と戦闘状態に入れり

この時私は16歳であった この日 学校にかよってきた私を待っていたかのよう高揚した友達が すごいじゃないか アメリカを相手に戦争が始まったんだよ 私の反応が鈍かったので友達は不満であった 私も すごいことが始まったと思うよ と調子を合わせた だが本心は今までの日中戦争(日支事変)がいつまでも終わらないのに また新しく戦争を始めたらいつ終わるのだろうと 危惧していた

確か昭和12年に始まった日中戦争は中国の主要都市上海 南京を占領しても指令部を重慶に移して降伏する様子はなかった もう5年も戦争状態が続いている 欲しがりません  勝つまでは の標語の素 国民は忍耐を強いられて物資は不足がちになっていた 大きな声では言えないが食傷気味になっていた

 映画や演劇なども戦時色を反映するものとなり つまらなく感じてきた はやく戦争が終われば 前の大チャンバラ映画や恋愛ものの映画も見られるようになるだろう 私の通学に利用している山手線の恵比寿駅のガラス窓が割れていて代わりに板が張り付けられていた だんだん日本の生活が貧しい物になってきたことがうかがい知れた

中国だけでも5年間もかかって一向に進捗しなかったのに その中国より何倍も強い米英を相手にしたらあと何年間 欲しがりません勝つまでは の忍耐生活が続くのであろうか 疑心暗鬼を感じていた

しかし 日本軍の真珠湾攻撃は劇的な勝利をもたらして 私も友達と同様になんて日本軍は強いのであろうと感激 これは開戦をして良かったのだと思うようになった 日本の敗戦などは考えられず 日本よ がんばれと協力する気になっていた 最近亡くなった瀬戸内寂聴さんも あの戦いは聖戦と思っていた と述べていた 日本があの戦争を大東亜戦争と名付けて推し進めてゆくのであるが 大多数の国民も反対でなく賛成であった このてんで私なども戦争責任を感じなければならないのかもしれない

しかし今の国会議員は 年長の麻生太郎氏でも頑是ない幼児であり 他の議員はほとんどが戦後生まれである かれら戦争責任はないと思う ただ正しく歴史を認識して政治を進めてほしいと思う