最近車内で立っていると 席を譲られることが多い これは私が まぎれもない老人に見えるからである 私は 感謝して座っている 定年まもなくのころ 席を譲られると ありがたいような 残念なような気がしていたが このごろはひそかに席を譲ってくれるのを望んでいる自分を意識していることがある なんとなく物ほしそうで情けない
私とほぼ同年の歴史のH先生は髪がいつまでも黒く 席を譲られる事が少なかったそうである ところがある日 帽子をかぶって乗った 途端に席を譲られた やはり顔には年輪が現れるのである と彼は話していた
テレビで 鉄棒の大車輪を見事にやってのける老人を見た すごいと思ったが 顔はそれなりの老人であった だからすごいと思ったのだ 顔も青年のようなら違和感がなく 青年が騙っているように見えたであろう
顔に年齢が表れるということは大変重要なことなのだ 顔を見れば何歳ぐらいかはわかるということで 社会の秩序が保たれているといっていい 老人の顔をしているから周囲の人から いたわって頂いている 
もみじマークが高齢者の車につくという 自信のある老人は また老人を区別してけしからんという 車は誰が乗っても同じ顔をしている わかりやすく 老人の顔をした車を出現させようというのである 周囲から割り込みなど危険なことを避けてもらえるならいいと思う あまり 自己主張するのは いかがなものか