福知山

最大級の事故のため 毎日 福知山 尼崎 の地名が報じられている 私事であるが 福知山で思い出すことがある
昭和26年のときだったと思う 私は公務員試験を受けた あのころは不景気で大勢の卒業予定の学生がこれを受けた 幸運なことに私は合格できた しばらくして陶磁器関係の検査官の就職依頼が来た 場所は福知山だった 家を離れて 遠くで単身赴任するの悪くないな となんとなく夢が膨らんできた しかし父は反対だった そんな遠くに行くと お母さんが毎日心配するよ あせらなくても東京でも就職口はあると思うよ
父は優しい人だった 私はほとんど怒られた経験がなかった その優しい父に反対されると かえって いやとは言いがたかった 私自身も持病の喘息のことが気になり始めた 遠くの地で喘息の発作を起こしている自分が想像に出てきた そして残念だが 断念した もしあの時 福知山に行っていたら 私の人生はどう変わっていたのであろうかと思う その後 公務員のほうは 東京の気象台から就職依頼があった しかし私が私立の女子高に就職が決まった後だった 以後 35年間の教師生活が続くのである
だいぶ前こと 家内と京都に1泊した後 京都から山陰本線城之崎に行ったことがある その途中の駅に福知山があった かなり大きな駅だったことを記憶している