介護所にて

外ではものすごい雨が降っているようである 私は玄関の戸を開けると驚いたことには 車軸を流すような雨が降っていて 水が玄関の上がりがまちまで迫っていた これは大変だ 玄関の前はかなり広い道路があったはずであるがそれが川のよう流れになっていてまるで急流のようだ その流れの中をピンクの服を着た女性が自転車に必死になって自転車をこいでいる よく見ると雨のためにかすんで定かでないのだが家内の様だ 大声で家内の名を呼んだつもりであるが声が出ない 自転車が倒れて家内は水の中でもがいていた なんとか助けに行くべく外に出ようとしたのであるが身体の自由がきかなくて動けない 

そのときである 家内はもう亡くなっていて 自転車をこいでいるのはおかしいこれは夢に違いないと気づいた 案の定 まもなく目が覚めた 明け方なので 半睡眠 半覚醒の状態にあったのだ だから今起こっているのは夢に違いないと言う理性が働いたのだ そうか夢で助かった でも水の中でもがいている家内の姿が悲しく離れない

なんでこのような夢を見たのだろう 息を引き取る時の姿が原因であると思われた

なんで自転車に乗っているのだろう 自転車はあることはあるがもう何年も乗っていない そうだ これは自転車でなくて よくおばあさん達が使っている車と小さな腰掛けが付いている歩行器だ 我が家の財政を仕切っていた家内はこの歩行器を使って 買い物や公共料金などの支払いをしていた

 

まだ元気で代沢の家にいたとき 下北沢で 阿波踊りの会があり それを見に行くことにした 家内はあまり乗り気でなく 貴方だけで見てきなさいと言っていたが 私も行くと言いだしたので 二人で出かかることになった 沢山の群衆に囲まれて 高円寺の阿波踊りの連などの応援もあり 大変リズミカルで大音量 思っていたよりかなり楽しめた そのかえりに 下北沢の商店街を通る 回転寿司の前で家内が入ろうかと提案 しかし私はなんか疲れて家に帰りごろっと横になりたかった 寿司は日を改めてまたにしよう と言って素通り このとき家内が少し悲しそうな顔をした この顔が何回となく頭に浮かぶ なんで あの時 なんで寿司屋に入らなかったのか自責の念がそのたびに出る このようなエピソードならいくつもあるのに 何で特別にこのシーンが何回も出てくるのであろう 不思議である

                                                          

介護ホームでの生活

誰かが言っていたのだが 今は生きているのだが最後は死が訪れることを知りながら生活をしているのは人間だけである 猿でも犬でも馬でも現在を精一杯に生きているだけで 俺は 最後は死ぬのでとは考えていないという意味である 人間だけが最後は死という知識を持っているのは はたして幸なのか不幸なのか 最後は死と言うことは小学生でも知っている 小学生が最後は死と言うことを考えながら生きているかというと 考えている が 遠い未来のことなのであまり気にならないと言うことである 生きている時間は限られているので その間に学問を修める為に学校に行き そのご何らかの仕事に就き 家庭を持ち 忙しい日を過ごさなければいけない この忙しさはやがて死を迎えることなどわすれさせてくれる 動物はそれを知らないし 人間は知っていても意識しなければ表面上は動物と同じになる これは大変助かる 死というネガティブな考えを忘れて一生涯使い切れないものなどを買ってしまったりするのもこのためである  

しかし介護所に入居している現在も 死を意識しないで暮らしているかという嘘になる 介護所とは健康を回復して家に帰ると言う施設ではなく いかにして余生を楽しく過ごし最後を迎えるかと言うところだと思っている

かなり前にNHKで人体小宇宙という大型の番組があった 銀河系には2000億個の星があり それが整然と規則正しく動いている 人体は60兆個の細胞があり 細胞の数は銀河系を何個も集めた数にも匹敵する それに小腸や大腸にむちゃくちゃにいる微生物との共同体なのだそうだ それが死によって生物からただの物質に変わる 死とはこの小宇宙を失う巨大な喪失なのだ なんというもったいない話だろうと思っている

かつての放送番組に 忘却とは忘れ去ることなり と言う出だしで始まるドラマがあった 当たり前の話だが 死というのは これほど大きな忘却があるだろうか 私 私の知人 この地球に暮らしていたこと などなど 全部が失われてしまう いや 忘れてしまっていることさえもわからなくなる この 「大 大 忘却」 が眼前に迫っていることを真面目に考えるとよく気が変にならないのかと思うのだが 事実はこれに反して極めてのんびりと暮らしている これもとても不思議なことだ 終わり良ければすべてよし という格言もある 今の私は 終わりよし の状態を感じている 言葉を換えると幸福感をも感じていると言っていいだろう これは皆さんを始め周囲が優しいのが大きな要素になっているなと解釈している 皆さんありがとう 

ヒヤシンス

今や満開のヒアシンス

このアライブという介護所に一般の見舞客が訪れることは コロナ陰性とか条件やなにやかにやで普通は難しい しかしこの障壁を乗り越えて H氏とKさんが来てくださった このヒヤシンスもそのときに頂いたものでした 球根が3つと 葉と つぼみ をつけている しばらくするとつぼみが開いて花が出てきた開花である 説明札をみると水をやったくださいとある 水を与えると開花の速度が速くなり見事満開状態になった 

見事なもので ほんのりと甘い馥郁とした香りもする 実はこのとき私はコロナの感染していることがわかり 鼻水や喉が痛く熱も37度4分ほどあり体調不調であった しかし花の甘い匂いがわかると言うことは よく言われている嗅覚に障害と言うことがなかったのだ コロナの症状が軽く済んでいるバロメターの役目をしてくれた

昔 現職の時 物理準備室によく生徒が遊びに来た 英語と日本語を交ぜて使ったなぞなぞなどを2,3知っていたので 「一人の女の子が階段の途中でと止まっていた さてこの子は階段を上がるのか下がるのか」一人の少女は英語で A girl だから上がるのだ これは誠に昔からある古いくさい謎々です そこで ヒアシンスが咲きました そこに早速来た人は誰 これはさすがにできなかった 答えは紳士 英語に Here you are. と言う言葉がある なにか人にものを渡すとき Here you are.(はいこれです ここにありますよ ここに持ってきました) 言いながら渡すときに使うらしい

ヒヤシンスは Here Sinshi (Here 紳士)少し無理がありますね生徒が解けなかったのは当然です

忍耐

介護施設に入ると 毎日が安全で健康を害していないかと面倒を見て頂いています 必ずなされることは 三度の食事 三時のおやつ 体操の時間では椅子に座ったままですが 手足の屈伸 深呼吸 滑舌がよくなるようにと 例の パ タ カ ラ の発音などが行われています

私は スウドクをやっていたら 職員さんがこんなのもありますよとパズル本を買ってきてくださった 漢字のクロスワードや間違い探しなどがあるパズル本です 今までは漢字は礻へんと衤へんを区別しないで書いていましたが いまは小学生のように区別しています また テレビを見たりしています テレビを見ていると 毎年見ていますが正月の箱根駅伝はなかなか面白かったと思います

これで 前から思っていたのですが 何々マラソンとかいって マラソン大会が大変多いようにみえました 世界の各国で同じようにこんなにマラソン大会があるのでしょうか 想像ですが日本のようには多くはないのではないでしょうか どうして? 考えてみました マラソンは大変過酷な競技だと思います 長い間の苦しい走り 箱根駅伝を見ていると 全エネルギーを使い息も絶え絶えになってタスキを渡したのち倒れ込む選手 を見るとなんであんな苦しいことをやるんだろうさえ思います

もしかするとこれは日本の国民性なのかもしれない 長い間苦しんでその目的が達成できたときの喜び つまり達成感が何より喜びなのかもしれません これはよい国民性だと思えます 怠け者ではこれができないからです 目的に向かって苦しいが頑張る これが日本が 戦争に敗れて主な都市が焼け野原になったとき そのまま沈没するのではなく 頑張ってまもなく世界第二の経済大国になったのも めげず頑張った国民性があったためだと思います そのときのメイドインジャパンは機能がよく 故障が少なく 長持ちすると言うことで世界的な優良ブランドでした いまはいろいろな国に追いつかれてしまい勢いがありません しかし昨日N特で日の丸半導体の復活を放送していました また世界一にのし上がるようなチャンスがあり頑張っているとのことでした 国の少子化という大きな障害がありますが そう願いたいものです

コンビニの食べ物

私の姪の娘だから 大姪 孫姪 とでも言うのか から 女性セブンという雑誌が送られてきた 彼女は英和を出てから早稲田 その後 小学館の記者としては働いている 付箋が付いているのが私の担当した記事ですとある 何カ所か付箋が見られたが その中に 

「50歳で料理は卒業しなさい」 と言う記事があった 料理を作るのが好きだという女性は年々減少して 作るのが面倒くさくて楽しいと思えなくなった と言うのである 特に50代の女性に多いという 

昔は お袋の味などと言って家庭料理はノースタルジアの原点的なものであった それが今 夫婦共稼ぎの時代に入り 妻は会社と家庭の両方の面倒を見なければならず かなり重圧なのはわかる

雑誌の記事には 解決策とし家庭料理を手のかからない単純なものにすればいい とある

なるほどと同感した というのは コンビニの料理がすごくおいしくなったからである

まだ介護を受けていないとき セブンイレブン で牛丼を買った時があった ご飯と牛丼の具とが分かれていて これをチンして具を温かいご飯にのせると立派な牛丼になる これが大変おいしい これでは 吉野や が困るのではないかと思うくらいである それから ざるそば これがまたおいしい 特においしいのは ざるそばのつゆである 絶妙においしい  これも立ち食いそばに負けていないと思った ただ薬味のネギときざみのりがもっと多いといいとは思ったのだが

ヘルパーさんの助けを必要となったときも 夕食は宅配弁当にしたのだが これだと朝食と昼食が必要になる 朝はあまり食べたくないのでバナナで済ませたりしたが その他はヘルパーさんに一緒にセブンエレブンや信濃やと言うスーパーにゆき購入 冷凍の餃子や 焼きおにぎり コロッケ チャーハン ぺぺロンチーノなどのパスタなど冷凍のままチンすればおいしい食べ物になる 冷凍ではないがブリトーというチーズや薄手のトルティーヤにチーズやソーセージを入れて巻いたものが極めておいしい 味はピザに似ていて ただチンすればおいしく食べられる そのたパックに入った 焼き鮭 鱈の西京焼き 焼きホッケなどもチンで温めるだけだ

これらのものを主婦がレシピを見ながら作るとすると大変な努力を要するだろう そして味は到底コンビニのものにかなわない それでしたらコンビニのものを買ってきて並べればよい 少し褒めすぎになるかもしれないが スイーツ や アイスクリームなども工夫されていておいしい コンビニに行とその都度アイスクリークやスイーツを買ってくるのであるが 同じものをほとんど食べていない それだけ次から次と新しいものが出てくるからである いまはホームのご厄介になっているので 食料を買うと言う面倒さえもなくなり 3食おいしいものが出てくるのであるが どうしたことか 胃のヘルニアということが発見されて 腹一杯に食べてしまうと なにやら重い鈍痛のようなものがしばらく続くようになってしまった これに懲りて 残念だが残してしまう様になってしまった 97年間過酷に大食い私のために働いてきた胃なので仕方がないのであるが

不思議な国

どうも不思議でやっていることがつかめないと思っている人は多いと思われる

それは 北朝鮮のことである やっていることは弾道ミサイルの発射だけのように見える これはナンのためなのかが不思議なのだ 軍事力を増強しているのはわかっているが これは攻撃の兵器である 実際の戦争に備えるには守りの兵器も必要と思うのだが 守りの兵器の実験のニュースをほとんど聞かない また通常兵器と言って核を使わない兵器の増強も私が見逃しているのかもしれないが聞いていない

今 実際に戦争をしているロシアとウクライナは今のところ通常兵器を使っている ロシアが核兵器を使うのではないかと恐れられているが さすがに人類破滅につながるかもしれない兵器を使うにはハードルが高すぎるのだと思う

しかし北の場合 その恐ろしい兵器を造ることに狂奔している様に見える 

これから想像すると 守備ができないのであるから 攻撃一辺倒になる だからもし北朝鮮を怒らせて戦争になったらなら 直ちに核戦争の恐れがある これが北の狙いなのかもしれない 北朝鮮は東洋の一つの小さな国かもしれないが 世界から絶えず恐れられていて あの国は特別な目を向けて注意しなければならない そうだ我が国北朝鮮は強いのだと示威しているので このデモンストレーションを休止してしまうと 忘れ去られるおそれがある だから 常に強い我が国をお忘れなくと 定期的のように 世界の顰蹙を無視して示威運動を続けている このように世界から一目おかれることが北朝鮮の目的のようだならば それは北朝鮮に絶えず働いている疑いや恐れがあるからだと思う 戦争に負けた独裁者がどんな惨めな運命をたどっているのか見ているからだ

しかし 今 北を攻撃する国がいるとは考えにくい 人間は懐疑的になるとそれを募らせてエスカレートしてしまう いらないことをやって俺は強いんだぞと絶えず宣伝しなければならないことは大変苦しいことだと思われる

大河ドラマ

今年の初めに始まった一年を通じて続く 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 というドラマは もう終わりに近づいています 気がつけばもう十二月なのだから当然です 私は大河ドラマのフアンと言うより前からずーっと見ていたのだからという義理みたいなものを感じているから見ていると言った方が自分に正しいです  当然だと思いますが 昔(戦前)と今の歴史の見方が大変違っていると言うことです

私が小学生の時 教科書は国定教科書と言って 全国の小学校が同じ教科書を使っていました 当時の一般的な本の価額と比べると驚くほど安い価額であったと思い出します おそらく国からの援助金があったのでしょう 日本の歴史は国史という名前だったと思います 人物日本史と言われていて そのときの社会の構造やの庶民の暮らし方などは付加的で歴史に出てきた人物を中心とした物語的にできていたので わかりやすく国史は好きな科目でした 例えば赤穂浪士の吉良家への討ち入りなどは 今の教科書では出て来るのか出てこないかしりませんが 当時の国史では かなりのページを割いて教え込まれました 

一貫しているのは 皇国史観 と言う歴史的な見方で で日本は万世一系の皇祖皇宗を頂いてそれで国が成り立ってきたと言うことでした

だから天皇家同士の争いである 壬申の乱 などは一言も出てきませんでした

 鎌倉殿の十三人は その主人公は 北条義時 これは昔なら思ってもみなかった現象です 北条義時は 承久の変という戦を起こし 後鳥羽上皇隠岐の島に流してしまった 大悪人であったからである これを教えていた小学校の先生は 大悪人だといって 北条義時と書かれている黒板の字の上に何回となく×をつけていたのを思い出す

しかし 承久の変は 後鳥羽上皇武家政治から再び天皇政治に戻そうとした野心が原因であった でも とにかく天皇家に逆らうのは大悪人であるという前提があったので 皇国史観としての国史ではそうなったのだと思う 

先生は 後鳥羽上皇の  我こそは新島守よ 隠岐の島の 荒き波風心して吹け と言う和歌を書いてなんと恐れ多いことだと泣かんばかりに熱意を持って教えてくれたのを思い出します

敗戦により天皇は象徴天皇となり 政治とは無関係になりました 皇室によるタブーも少なくなり かつての 大悪人は悪人ではなく歴史上に活躍した英雄の一人となりました