介護ホームでの生活

誰かが言っていたのだが 今は生きているのだが最後は死が訪れることを知りながら生活をしているのは人間だけである 猿でも犬でも馬でも現在を精一杯に生きているだけで 俺は 最後は死ぬのでとは考えていないという意味である 人間だけが最後は死という知識を持っているのは はたして幸なのか不幸なのか 最後は死と言うことは小学生でも知っている 小学生が最後は死と言うことを考えながら生きているかというと 考えている が 遠い未来のことなのであまり気にならないと言うことである 生きている時間は限られているので その間に学問を修める為に学校に行き そのご何らかの仕事に就き 家庭を持ち 忙しい日を過ごさなければいけない この忙しさはやがて死を迎えることなどわすれさせてくれる 動物はそれを知らないし 人間は知っていても意識しなければ表面上は動物と同じになる これは大変助かる 死というネガティブな考えを忘れて一生涯使い切れないものなどを買ってしまったりするのもこのためである  

しかし介護所に入居している現在も 死を意識しないで暮らしているかという嘘になる 介護所とは健康を回復して家に帰ると言う施設ではなく いかにして余生を楽しく過ごし最後を迎えるかと言うところだと思っている

かなり前にNHKで人体小宇宙という大型の番組があった 銀河系には2000億個の星があり それが整然と規則正しく動いている 人体は60兆個の細胞があり 細胞の数は銀河系を何個も集めた数にも匹敵する それに小腸や大腸にむちゃくちゃにいる微生物との共同体なのだそうだ それが死によって生物からただの物質に変わる 死とはこの小宇宙を失う巨大な喪失なのだ なんというもったいない話だろうと思っている

かつての放送番組に 忘却とは忘れ去ることなり と言う出だしで始まるドラマがあった 当たり前の話だが 死というのは これほど大きな忘却があるだろうか 私 私の知人 この地球に暮らしていたこと などなど 全部が失われてしまう いや 忘れてしまっていることさえもわからなくなる この 「大 大 忘却」 が眼前に迫っていることを真面目に考えるとよく気が変にならないのかと思うのだが 事実はこれに反して極めてのんびりと暮らしている これもとても不思議なことだ 終わり良ければすべてよし という格言もある 今の私は 終わりよし の状態を感じている 言葉を換えると幸福感をも感じていると言っていいだろう これは皆さんを始め周囲が優しいのが大きな要素になっているなと解釈している 皆さんありがとう