小田急

老健の病室から小田急が走っているのがよく見える 子供のころ電車が大好きでわざわざ市電を見に行った この頃の感覚がよみがえる よく見ると線路が緩やかなスロープになって登山電車の様に上ってゆくのが分かる ぱっと見たとき電車が走っていることが実に多い ということは頻繁な交通量を表している なるほど これでは開かずの踏切ができるはずだ かなり前であるが下北沢で東映の俳優菅原文太の息子がお開かずの踏切を待ちきれず潜り抜け電車にはねられる事故が起してマスコミの話題になったのを覚えている

ぼんやり眺めていると同方に電車が並行して走っている おやっと思ったが すぐに開かずの踏切を解消すべく線路を地下鉄にしたり高架にしたりして4車線になっていたことを思いだした

時には上りの2台と下りの1台 つまり3台を同時に見ることができる さすがに4台の重なりはまだ見たことがない

小田急電鉄の発展は目を見張るものがある 「昔恋しい銀座の柳」ではじまる 東京行進曲という歌謡曲がある 

その4番の歌詞に

♪シネマ見ましょうか お茶飲みましょか

いっそ小田急で逃げましょか

変わる新宿 あの武蔵野の

月もデパートの屋根に出た♪

作詞 西城八十 作曲 中山晋平

この歌のできたのは昭和4年のことで私は当時4歳でした 小田急が営業したのは昭和2年で この歌の2年前でした この歌は当時の日本人ならほとんど知っているというぐらい流行した歌である このとき すでに新宿は大発展の途上であることがわかる

戦前の小田急を知っているが 焦げ茶色の車体で2,3両連結であったと思う