少年と乗り物 

Anne39さんがコメントされていたように 私は乗り物大好き少年だった 私でけではなく 大体 男の子は乗り物が好きだと思う これは大人になっても続き SLを撮るために三脚を持ち出して違法なくらい線路に近づいて撮影時期を待っている いわゆるテツキチと言われている鉄道フアンは大抵が男性である

ふるさと山形県東小国村羽前向町には絹出川と言うかなりの大河が流れていた 河には絹出橋と言う大きな橋が架かっていた

その橋と並行して陸羽東線の鉄橋がかかっている 絹出橋から見ると西の方に鉄橋を渡るSLを見ることができる 特に日没ともなる真っ赤な太陽をバックにまさに絵のような景色が展開する

【 懐かしさ 夕日を見つめる 幼き日 】

機関車を間近に見たいために 向町の駅に行った  待つことしばし 汽車が入ってくる 力強いラッセルの音ブオーと言う出発音 数個の動輪を同時に動かすための連結棒が動輪と共に機械的な動きが大好きだ 腕を振って真似してみる

そのころの市電は東京のほとんどの主要道路を網の目の様につないでいた 乗車賃は7銭でどこにでも行けた 市電に乗ると車掌さんが短冊形の切符に印刷してある線路図の 出発地 と 到着地 にパンチで穴をあけてくれる 乗り換えがあっても この切符を持って行きそのまま乗り換えればよい 大変便利な乗り物であった 叔父の家が向島にあった 目黒駅前から出ている市電には 浅草 向島行き があった それに乗れば一直線の叔父の家に行けた 市電の欠点は路面電車であるので遅いことだ しかし子供には長い間好きな電車に乗れて楽しかった

近所に長者丸というところがあり 長者丸と天現寺橋を結んで珍しいくらいの市電のローカルな線あった ここを走る電車がまた歴史的な電車で もしテツキチの人がみたら垂涎の的になりそうな市電初期に輸入された外国製のもので 走るときかなりのピッチング(船の縦揺れ)のような揺れを感じた  ブレーキが手動式でハンドルを何回もグルグルまわしていた

戦前であったか戦後であったか分からないのであるが この電車に乗り 弟と二人で天現寺橋から乗り換えて芝園橋まで行き当時あった芝園館と言うとところで映画を見た

T女学院に勤めるようになると 今はハチ公広場になっているところから6番の市電が出ていた 渋谷と新橋を結ぶものであった

長い間これに乗って六本木で降りて通った これは 市電が廃止されエビスから地下鉄日比谷線六本木駅に行くまで続いた