絆?

東日本の復興は 遅々として進まない 前に書いたように最善の街造りに構想を練っているための時間なら納得である しかし最大の障害となっているものは 膨大な瓦礫の処理が進んでいないことだという その瓦礫は膨大すぎて とても現地では処理することが出来ない それで 他府県にお願いして瓦礫の処分を分担していただけないものだろうかと望んでいる 
あるところの知事が瓦礫の処分を引き受けようと名乗りを上げた ところがその住民の猛反対にあった 瓦礫の放射能が心配である 知事は 放射能は危険な基準以下で その影響はない すると住民はそんなデータは信じられないし 風評被害でここの生産物が売れなくなったどうするのか などなど ついに断念せざるをいなくなってしまった
この震災が始まってから テレビ 新聞などで毎日のように 絆 という言葉を掲げてきた 昨年度の漢字も 絆 であった テレビに出てきた人々は 口々に みんなの絆を唱えて 歌手はその意味の歌を歌っていた つまり この災害を助け合う絆で協力しようということであったと思う
ところが いざとなると 瓦礫の処理は自分のところは嫌だ それはよその県で引き受けてほしいという 瓦礫はどこかで引き受けることが必要不可欠なのだ 絆 の精神は何処へいったのだろう 外人がよく日本人は 本音と建前を使い分ける といっている 絆は単なる建前であったのか 上の例は本音がつい出てしまったのか
同じ日本人で 福島の原発の現場で 防護服を着ているとはいえ 被線計 を気にしながら作業している多数の人がいる これらの人たちのことを 風評被害まで心配して協力を拒否する人々はどのように考えているのだろうか
同じ日本人で 考えが余りにも違いすぎると思う