科学技術立国

大東亜戦争といっていた太平洋戦争に日本が負けたのは 前回での 軍事力 経済力 資源保有量の他 まだまだ多くの理由があった それは 科学技術力であった 特にアメリカのレーダーの力は容易に敵の陣地状態を知ることが出来るし 天気が悪くて雲っていても それを暗視することが出来た 東京空襲など 市民は灯火管制などをして真っ暗にして東京の市街地が分からなくしたつもりでいたが レーダーを搭載していた米軍機は容易に街の様子を知ることが出来た ミッドウエイの海戦など 日本の情報がことごとくアメリカに知れていた 優れた通信施設と暗号電報を解読できる能力と機器をもっていたからである この科学技術の遅れは ノモンハンソ連軍と衝突したとき ソ連の戦車の優秀さに圧倒された 日本軍は大損害を出したことでもわかる
もちろん 日本にも優秀な技術はあった ゼロ戦 隼 紫電改 など 世界的な水準以上にあった戦闘機である でも生産力が伴わなかった
バカの壁 の著者 養老孟司 は 日本が戦後 科学技術立国を目指して ついに世界にメードインジャパンの名を冠たるものにした そしてついに自動車産業アメリカをしのぐまでになったのは 科学技術力で決定的な差をつけられて負けた リベンジ だったのではないかと評していた これは面白い見方である とにかく日本は敗戦後 世界一の科学立国を目指していたのだと思う