そもそも

そもそも 私が女学院に勤めることになったのは R大のW教授の下で 卒業研究をしていたことにさかのぼる W教授と女学院の院長とは東大の物理学科の同窓であった しかも偶然なことには 両先生の奥様同士が 同じ捜真女学校の同窓生と言うことで 本当に親しい間柄であった そんなことで W教授の推薦で 私が選ばれて 女学院で物理を教えることになった 当時は物理だけでは時間が少ないので 数学の解析1と解析2も教えていた 仲間には 化学のH先生 生物のS先生(後にN先生)とK先生 それに講師の先生がいただけであった 
しかしその後 学校の規模が大きくなり 物理は私1人では足りなくなり 私の後輩のH先生が入ってきた H先生は 大学は私と同じであるが 高校は女学院と同じ港区にある名門のA高校の出身で秀才タイプの先生だった 彼は英検の免許を持っていて英語には堪能であった ただシャイな性格なので 彼が英語を話す場面を見たことがない
当時 揺籃期にあったコンピュウターの知識にも造詣が深く これらは私のまったく知らない分野であった 自分で言うのもおかしいが 私自身のよいところは? 過度な自尊心が無いことであると思う 17歳年下のH先生に これらの知識を教わることにした 彼の説明は大変分かりやすく おかげで 現在もこうしてブログなど書いているのは 元をただせば彼のおかげである
物理の研究課題を見つけて 東京都に申請すると 研究費がもらえた H先生と一緒に物理の実験を放課後遅くまでやって その結果をレポートにして年末に出した 懐かしい思い出である そんなわけで H先生とは職場の仲間以上の親しい関係ができて これが 私が定年退職してからも やがて 彼も定年退職しても続いている
H先生とは もうお気づきと思うが Nearbridge氏のことである