明治の人

音楽のTさん先生が亡くなられた 98歳であった 私の知る女学院の先生の中では 最長不倒距離の長生きの記録である 
Tさん先生に最初にお目にかかったのは 野尻での キャンプソングの指導のときであった 先生というよりはエンターテイナーのような感じがしたくらい面白かった
職員会のとき “青野”のお菓子が出る事があった 先生はこの包み紙を集めていた 良質の紙で出来ている紙の裏を作曲の粗稿を書くために用いるためである 戦前戦中とつらい時期を生きてきた先生は 物を無駄にしたくなかったのだ 私は貧乏性だ と言っておられたが このような つましい ひかえめ 中庸な生活態度が 先生を長生きさせたと思っている
職員室で机が先生と隣のときがあった ある日先生が 小さな声で歌を歌っていた 
むこうー とーおるは おきいいちーじゃ なああいいかー しもだーああーみなあとーにー ああめーがあ ふううるー (向こう通るは お吉じゃないか 下田港に雨が降る)
おやっと思った 小唄調の歌なのだ メロディー嫋嫋として聞きほれてしまった
何日か経ったころ 聞きほれましたよと言うと 先生は そのときは気分がよくて 自然と出てきた歌だと思います 自然に出てくる歌はよく歌えるものですよ
先生は幼少時は 清元や常磐津などの邦楽を習っていたと聞いている 邦楽調はお得意なのであろう また一人 明治の人が消えて行った