敗戦

思い出してみると 夏休みのはずであったが 終戦の前日まで 我々学生は動員されていた どこで どう働いていたかというと 場所は錦糸町周辺 空襲に備えて防火帯を作るためであった
 江戸の火消しは水を使った消火ではなく 火事が起こると 類焼を防ぐため火事の起こった周辺の家を 鳶口 大木槌 などを使って壊し 空間帯をつくる いわゆる 破壊消防であった
これと同じことを我々が事前に行っていた 空き家になった民家の大黒柱に綱をつけて みんなで1,2 1,2と掛け声をかけて引いてゆく 家が倒壊する 倒壊した材木を整理してトラックに載せる こんなことを何日かやっていると 長い 何も無い空間である 防火帯ができあがる
その日は 作業を休んで学校に集まるようにいわれた 玉音放送があるという
学友の一人が おそらく本土決戦になるので 各員 奮励努力せよ 最後まで戦う覚悟をせよ という詔勅だろうといった 
ラジオは朝から何一つの放送も無く 不気味に無言だった 
もう一人の学友が ためらいながら 敗戦の宣言かもしれない 終戦には 今がいい時期かもしれないからだ と言った そんな馬鹿な と多くの者が彼を非難したが もしやと言う考えは私にもあったし 皆にもあったと思う 
校庭には どう見ても実験室の研究生か助手かが組み立てたらしい ラジオがおいてあった みなは整列してラジオを聴いた 音が悪く あまりはっきりとしなかったが 昭和天皇の抑揚のある玉音放送が聞こえきた
『汝臣民に告ぐ 米英支ソに対し 共同宣言を受諾する旨を通告せり』
『堪えがたきを堪え 忍びがたきを忍び もって 万世のため 太平を開かんと欲す』
どうやら敗戦の宣言らしい 斜め前列の学生が 肩を震わせて泣いているのがわかった 日本が敗戦という方法をとって戦争を終結したことが ひどく意外だった 残念だった 悲しかった しかし これで生き残った 空襲の恐怖から解放されるという安堵感が生じたのも事実だった