乗り物と乗客

先に 生物(この場合人間)は遺伝子の乗り物であるとことについての意見 またコメントなどをいただいた この際出てきた乗り物の反乱について なぜ反乱なのか考えてみます
今 一般的な意味の乗り物と乗客の関係を考えてみる たとえば私が バスに乗り 渋谷に出て 地下鉄で浅草へ行ったとしよう バスから電車に乗り換えているのだが 乗客の私は 変わらない 私は私のマインド(心)と一緒に乗り換えている 何回このような乗換えを行っても マインドは保たれているので 自分と言う意識が変わることはない
ところがドーキンス流の乗り物と乗客の関係は 乗り物がマインドを持っている 乗客の遺伝子は設計図のようなものでマインドを持っていない だからいくら乗換えを行っても
マインドが伝わらないから 私の自己という意識は伝わらない
マインドは乗り物(人)が亡くなったとき消えてしまう 使い捨て なのである
このことを乗り物が気づいてしまう 何たる はかない運命なのだ 使い捨てられた自己意識はもう二度とこの世に現れることはないだろう それでは乗客の遺伝子のことを考えるよりは 乗り物自体を第一に考えようではないか 私は これが乗り物の反乱の主要な原因と考えている