病友

臨時にリハビリ室となった6階でのリハビリは長く 私の退院まで続いていた もちろんその後も続いているのだろう

ベッドや自転車とか平行棒とかはないのであるが そこはベテランの療法士 いろいろなリハビリを考えてくれる ボール投げは毎回のように行われた 小玉スイカぐらいの大きさのボールを椅子に座った2人で投げたり受け取ったりする 始めは椅子の距離が短いのであるが だんだん長くなるかなり力を入れないと届かないし 力を入れると

コースをそれてしまう

このキャッチボールの相手はYさんと言う1つ年下の男性で 休憩時間に そりゃー皆さん親切にしてくれますよ だけど家に帰りたい 家ではなんていっても自由ですからね

聞くところによると 左官屋さんで今3階建ての自宅に住んでいて 1階にY夫妻が住んでいたが妻は脳出血植物状態 そんな時Yさんも骨折して入院 3階には孫夫婦が住み9月にはひ孫が生まれることを唯一の楽しみにしているという

Yさんは少し記憶に難があるらしく 何回か同じ話をしてくれた

私がボールをきれいに投げてそれを受け止めたとき ナイス 大きな声で讃えてくれた

先の話になるが 私の古畑病院の再退院の2日前 療法士さんが 沓沢さんは明後日転院ですって と告げると 顔がゆがんだかと思うと泣きだしてしまった あれほど望んでいた退院が自分ではなく一人残される寂しさがあったと思う ひ孫が生まれるのを楽しみと言っても 大変な逆境のあることには違いはない それに体力も落ちているのがうかがえる つかの間ではあるが 話を聞いてくれる仲間を失うのはつらかったのかもしれない 老いて心細い彼の心情を察するとジーンと来るものがあり涙をこらえるのがやっとであった

翌日 最後のボール投げが終わった時 転院しても 向こうで新しい友達をつくって元気にやって下さい と逆に励ましていただいた

歩行器の車を押しながら去って行った Yさんの寂しそうな丸い背中を今でも忘れられない

【行く春や 老人たちの 目に涙】

行く春や 鳥啼き 魚の 目は涙 (奥の細道