徳川家康

江戸幕府のことが出てきたのでついでに 徳川家康のこともいいたい 少年時代 信長 秀吉 家康のことは色々な本にでてきて知っていた 小学校で国史といっていた日本史を習うことになるのだが ここにでてきた徳川家康は私の嫌いな人物としてしまった 豊臣を滅ぼさなければ徳川の安泰はないと考えた家康は 豊臣秀頼が造らせた 方広寺の釣鐘に 国家安康 の文字があるのを 家康という字を分断するものであると文句をつけた とんでもない難癖である これは子供の私にも なんと言うめちゃくちゃな話だろうということが分かった そして これを原因として大阪冬の陣 夏の陣の結果 豊臣を滅亡に追い込んでしまう 子供のときの印象は大人になっても続き 東照大権現などといって日光や久能山に神として祭られている そんな資格があるのであろうか 
このことは在職のとき日本史のK先生に正してみた K先生の話は 仮に石田光成が勝って豊臣政権が出来たとしても 豊臣政権は弱体で強力な地方大名が出てきて 政権争いが出来て 争いの多い戦国の2の舞になりかねなかった その点 家康が強力な大名を平定する政策を選んだのは 徳川15代の将軍を生み その間信じられないくらい長い平和が続いた これは家康の大変な功績である 云々
なるほど 天下泰平を築いた者として神に祭られていると考えればうなずける もちろんこれはK先生(現代人)が結果論として後から考えた理屈ではあるが