食糧難

昭和9年ごろであった 一家は山形県から東京に移り住んだ 目黒区三田町というところに 我が家はあった そのころの生活は 国民が生活をエンジョイできる平和な時代だったと思う 家には商人たちが 御用聞きに来た 米屋 八百屋 魚屋 酒屋 肉屋 薬屋など
面白いことに荒物屋まで 来て 用件を聞いて 後から届けるのである 今の宅配に似ているが 宅配はお客が電話とかインターネットで注文していて 商人が“今日は 御用はいかがですか”と聞きにこないのが違う点である
ところが このシステムがやがて崩壊するのである 昭和12年頃は始まった 日支事変は 長引き泥沼の様相を帯びてきた 連戦戦勝の新聞記事は華々しいが やがて日本国内にも影響が出てきた 突然米屋が 来なくなった 売り米がないとのことであった “稲新(米屋の名)さん うちは長いお得意です 特別に持ってきてくださいよ” 母が 説得していたのだがだめであった  食糧難が始まったのであった やがて ほかの御用聞きも来なくなった お金を払っても物が買えないという なんとも不合理なことを味わうことになった
昭和18年事変は やがて太平洋戦争へと拡大して 食糧難はますます深刻となる 時代劇で もっとも残酷な戦略は兵糧攻めであるという 本当に食べ物がないというのは つらいことである 北朝鮮の人民が長い間 食糧難に耐えていというのは信じられない さぞかしつらいことだろう