そのとき歴史が動いた2

日本では 万世一系といわれているように 天皇制が長く続いていて 長い歴史の中でも 時の権力者によって とって代わられるようなことがなかった これはなぜか ある歴史家によると 朝廷が 西洋でのローマ教皇の役目をしていたためだという どういうことなのか 西洋では王様になるときに戴冠式がある 王に冠を授けるのは 教皇である 王は自分で 私は王であると宣言してもよいはずなのだが この王位は神から授かったものである(王権神授説)とした方が 権威が何倍にも増大して 人民からも尊敬され 受け入れやすくなる だから教皇は神から与えられたものとしての王冠を王にかぶせるのである
日本では 現人神(あらひとがみ)である天皇が 為政者に 征夷大将軍とか関白太政大臣などの官位を与えた 天皇はこれらの称号を与える権威のある役目を持っていた 頼朝 家康の征夷大将軍 秀吉の関白はこのようにして 公式に認められた 官職であった 
為政者は政治的権力を公式に認めてもらう機関 天皇の存在が必要であった
ところが信長は 天皇が彼に 征夷大将軍または関白のいずれかを与えようとしたとき これを断った 信長にとって 天皇に官位など与えてもらわなくても 自分は大王として支配できる自信があったのだろう 朝廷の存在も しきたり 旧体制など気にも留めない 合理主義者信長にとってタブーではなかったと思われる これは朝廷の危機を示している もしも 本能寺の変がなかったならば 天皇制に変化が起こっていたのかもしれない この点 私は 本能寺の変は そのとき歴史が動いた の最大事件ではなかったのかと 思うわけである
大河ドラマ 功名が辻 は まもなく 本能寺の変 に差し掛かる はたして どのように 描いているのであろうか?