アヤソフィア大聖堂

9月25日(日曜日)
ガイドの話によると ローマのコンスタンチヌス皇帝が都を移してコンスタンチノープル(コンスタンチヌス帝の都)と称したところが今のイスタンブールである ローマ帝国はその後 西ローマ帝国 と東ローマ帝国ビザンチン帝国)に分裂する 西ローマ帝国ゲルマン民族の侵攻をうけ まもなく滅亡
東ローマ帝国もトルコの侵攻を受けて力が段々なくなっていくが コンスタンチノープルだけは1000年以上持ちこたえた まさにコンスタンチノープルビザンチン帝国の最後の砦であったのだ しかし弱冠21歳のオスマントルコのスルタン(王) メフメト二世による猛攻をうけ 1453年(日本の室町時代) 陥落
東方キリスト教大本山であった 聖堂アヤソフィアもモスクに変えられてしまった 時が移り変わり 内部の白く塗られた漆喰をはがしたところ 元のキリスト教のモザイク画があらわれて いまはモスクともキリスト教の聖堂ともつかない博物館として公開してある とても混んでいて 入るのに20分ほど待った 大きな聖堂であった これだけのものが1500年前の大昔つくられたと思うと驚きであった
 アヤソフィア遠景
 ドーム 修理中であった
 円板には 唯一の神アラーなどと書いてある
 キリスト(中央)マリア(左)洗礼者ヨハネ(右)
 特に信仰の厚かった時の皇帝夫妻が聖母マリアの左右に描かれている
このようにこの聖堂はキリスト教イスラムとが混在した形になっている