マイケル裁判

マイケルジャクソンの裁判が無罪となった 陪審員全員の決断だという 私の知る限り 彼のような有名人で 白か黒か世論を二分するような事件のとき陪審員たちが脚光を浴びる 前のオージー シンプソン事件のときもそうだった 陪審員全員で判断した結果 無罪となった
陪審員はなぜあるのだろう 彼らは素人の集団だ 厳正なる裁判は専門家の裁判官に任せたほうがよっぽど合理的な結果が得られると思う 日本の古いことわざに 餅は餅屋 というのがある 専門家に任せておけば間違いがないという意味である 
重大な裁判のときには一般市民にも加わっていただき 市民の意見を入れるためという 裁判までも民社的にやりたいのだろう 
しかしその裏にもう1つ隠れている意図があるようなきがする 裁判官だけで決めるとどちらに転んでも世論の反応は喧々諤々と大騒ぎを起こしかねない すると判定を下した裁判官は逆境に立つかもしれない  だから市民に決めさせるのである
陪審員に決めてもらえば 君たちの代表が決めてのだから仕方がないでしょう といえる
マイケルにしてもオージー シンプソンにしても黒に近い灰色という感じがするのだが 無罪としたほうが 世論の反応がやわらかい 
陪審員制度は私の考えでは 大衆の世論のサンドバッグでもあり 大衆の思っているような結果がなるべく出るようにと考えられたソフトランディングの制度のようにおもえる
どうぞなるべく お静かに お静かに という制度なのだと思う