無念無想

禅宗の坊さんが座禅を組み 無念無想の境地に達する そしてあらゆる俗念から脱して 平静な精神状態になるという
この無念無想は本当に可能なのであろうか 無念無想とは何も考えないということである
もし無念無想の状態になったとして 今 自分は無念無想になっている という考えが残っている 本当の無念無想はぐっすり寝ているときだろう このときは意識がないから無念無想といえる 
ある本によると 人間の脳はじっとしているのが苦手であるといっていた 何か考えてしまう 始終 活発に動いているのが自然である これは子供を見ているとよくわかる 彼らは起きている間 少しもじっとしていない 大人もそうなのだが理性で抑えている
眠りにつくときでも しばらくの間 脳が動いているので寝つきが悪くなる 眠りに入っても脳の動きたい主張は続きREM睡眠(夢を見ている状態)になり やがてやっと無念無想の本睡眠になる
それでは禅僧の無念無想とはいかなるものなのか 私の考えでは 雑念が次から次と出てくるのを抑えて 何か1点に集中することで感じる透明感のようなものでないかと思う
私は病気になり しばらく自宅で静養することになった しかし じっとしていてもなんとなく落ち着かない 動きたい脳の静養になっていないのだ なにかすればいい 近所のパチンコ店に行った そのころのパチンコは電動式でなかった しばらく玉をはじいていると 私の前にはパチンコ台だけしかなく 私はパチンコと 1対1 の状態になっていた つまり パチンコの他の雑念が消えていた これは後からあの時はそうだったと思ったものだが これが起きているときに経験した1種の陶酔のようにも思える無念夢想だったかな と思っている