彰義隊と西郷隆盛

彰義隊の記念碑を過ぎて やがて西郷さんの銅像のところに来た 西郷さんの顔は実はモンタージュ写真のようなもので 実際 このような顔であったかはよくわからないと あるテレビ番組が報じていた 西郷さんは大変有名で それほど昔の人でもないのに 顔がわからないとは不思議な事である 彰義隊にしても 西郷さんにしても 反乱軍を組織していた それが後になって 記念碑や銅像を建てて 栄誉をたたえているのは どうしてなのか
少し前にNHKの大河ドラマで 新撰組 をやっていた これから わかった事は 新撰組は 京都で天皇京都御所の護衛が仕事であった つまり天皇護持派であったのに 思いがけなくも賊軍にされてしまう 
彰義隊にしても 西郷さんにしても 天皇を中心にした政府を立てることでは新政府と同じであった ただ方法が政府と意見が違っていた
明治政府は このことを考慮して 彼らを反逆の徒として扱わず 心は同じ憂国の士として扱ったのだと思う このように明治政府は維新の過渡期の出来事を不問に伏している 函館の五稜郭で政府軍と戦った榎本武揚は 罰せられないで 後で大臣になり 子爵の称号を与えられている
五稜郭で榎本と共に戦った 新撰組副長 土方歳三は ここで戦死してしまうが 生きていれば 明治政府の重鎮となった事であろう