無宗教形式告別式

kutuzawa2005-05-11

私の在職時代 都は高校の教諭に研究の助成金というのを出していた 額は少ないのであるが 研究用の 小物 消耗品 計器類 パソコン用の周辺機器などを買うことができた ただ研究したものをまとめて 発表報告しなければならなかった 報告先は主に他の私立の高校であった 早稲田高等学院もその1つであったが その物理のT先生の義理の妹さんが 私の学校の同僚であったので その妹さんにたのんで 私のレポートを渡してもらった 私の研究は何回か続き 何回かレポートを渡すことになる
私が なにかで 早稲田高等学院を訪ねた時 T先生は いつもレポートをいただいているので 私の書いた早稲田高の物理の教科書ですが差し上げますと 数冊の本をいただいた 一般の物理の教科書より高度な項目が付加されていたのを思い出す
義理の妹さんが 病気になり お見舞いにあがったとき T先生も病気で同じところに入院していた それでT先生もお見舞いしたところ 私のことを覚えていてくれた
そのT先生がなくなった 無宗教形式の告別式だった 多くの花束の中にT先生の写真がある これは他の形式のと同じだが 花の中に立ててある ○○会社 とか ○○学校 親戚一同などの 立て札がない すっきりした感じだった
親戚のお嬢さんによる 先生が好きだったという ショパンノクターンのピアノ演奏から始まり 同僚 教え子たちの弔辞 2人のお孫さんの涙ながらの お別れの辞
花で棺をかざり 最後に 棺のまえで 早稲田の人たちによって 都の西北 の合唱などがあり出棺となった
私が気がついたのは すべての行程がT先生に関係したものばかりであったことだ
宗教形式のものは ともすれば 宗教そのものの教義 福音 などのの解説が長くなり 故人のことを述べることがおろそかになったりすることもある
お焼香のとき 唱えている お経は ありがたい仏教の教えであるが 故人の業績 歴史とは直接に関係がないのではないか
無宗教形式の告別式に出たのは初めての経験だったが 故人を100%表現 回顧している形式は これはこれで理解でき 今後このような形式が増えるのかもしれないと思った