老老介護2

それまでの生活は 二階で寝ていたので 二階に行こうとして階段を上りかけたのだが 一歩も歩けないことがわかった 仕方がない苦痛に耐えながら一階で晩は過ごし 朝になり救急車を呼び自衛隊の中央病院というところに入院した 入院しながら老老介護していた相手 家内 を残したまま自分だけ病院に入ったことが気になっていた 携帯をかけて お前も入院してくださいと促したが 買い物ぐらいは私一人でできますと聞いてくれない 姪 や 安心健やかセンター の職員が直接家に行き説得を試みたが鍵がかかったままであった 病院で治療を受けながら 一日一回スマートフォンで電話を入れることにした 言うことはいつも同じ 病状をきくことと 早く病院にいってください 答えはいつも ノー おそらく 病気なので乱雑になっている寝室を見られるのが耐えられないくらい嫌なのだろうと察していた

しかし このデッドロック状態も終わりの時をむかえる 私が自衛隊中央病院を退院して 梅ヶ丘にあるリハビリテーション病院に転院することになったのだ 転院するに当たって必要なものを取りに自宅に行かなくてはならない 私の担任だった生徒が親切にも自家用車で自宅まで私を運んでくださった 自宅に着くと 家内が出てきたが 驚いた 玄関で立っていられず横になる始末 こんなに悪くなるまでどうしてと 

幸いなことに 援助してくださっている 安心健やかセンターの職員さんも駆けつけてきていただいていた 今までの開かずの扉が開いたのだ 職員さんはただちに救急車をよび家内は急遽病院へ行かされた 入院先の病院でもこんなになるまでよく我慢していたと驚いていたそうだ 家内がまだ健在だった頃 私は病気になっても病院に行かずここで死を迎えることにしたい と一言申していたことを思い出した そのとき何の意味かわからなかったが 従容として自然に死を迎えたいとでも言うのか? いまでもよくわからない

とにかく老老介護の2人が入院したので 病妻をおいて私だけが療養生活しているという心の圧力から解放された