こうじょうの月

もう今から2年も前になると思われるが 骨折を起こして自衛隊中央病院へ入院 その後 引き続いてリハビリテーション病院に入院した リハビリ病院は今から考えると入院者の幅が大きく 高齢者にまじって中年の人や若い人もいた 食事は病室でとるのではなくデールームと称する休憩室兼食堂でとる 席は決まっているわけではないが自然と同じところに座ることが多い Hさんは私とほぼ同年でいつも私のはす向かいに座っている そんなことでつい親しくなった Hさんも私と同様に耳が遠かった 会話をするときはついのり出して話す Hさんの上品な物腰から もしかして京都のお公家さんと関係がありますかときいたほどである それにはわけがあり Hさんの名前を披露しなければならない 東苑 がその名前である いやそんなものではありませんとの答え

この頃はまだ自由に訪問客が出入りをしていた H夫人が訪問に来た時 このひとは 名前でずいぶん得をしていますとのお話があった

そんなHさんも私も理学療法士の指導をうけてリハビリの課題をこなしている この理学療法士はとても若い Hさんの話だと なんかのついでに 荒城の月の話が出て 若い理学療法士さんに知っているかと聞いたとき 知りません 工場の月ですか と答えた あの 土井晩翠作詞 滝廉太郎作曲の有名な 春高楼の花の宴 で始まる 歌も知らないとは 時代の開きを感じましたとの事

私が工場の月と言えば あんまり煙突が高いので さぞやお月さんけむたかろ という炭坑節ですね と言うとその通りですねと笑った そのHさんが あるとき 朝にあんなに晴れて良い天気だったのにもう雨模様ですよ 天気の変わり目がはやいですねと言ったので 女心と秋の空 と言いますからね と私が言うと なるほどと破顔一笑 小さな声で話したつもりであったが二人とも聞こえが悪くつい大きな声になったのであろう となりのオバーちゃんにも聞こえてしまった そして 男心と秋の空ですよと訂正されてしまった

これには後日談がある