知の巨人

立花隆しがなくなった 80さいであった

私は立花氏を実際に見たことがある 渋谷から新橋駅行きのバスに乗って医院に行く途中 虎ノ門のバス停のそばを彼が歩いていた

もじゃもじゃした髪 少し太た体形間違いはない テレビを見る彼とほとんど変わりはない

立花氏は 私は勉強が好きで3万冊の本を読み100冊の本を出版しましたというように旺盛な知識欲には驚嘆するほかない

彼を有名にしたのは何といっても田中角栄研究であろう 徹底的に調べ上げてやがて田中内閣の退陣に追い込むことになる

分子生物学者の利根進さんがノーベル賞を取った時立花氏がインタビューをしていた 驚いたのは立花氏が利根川論文を読み解いて理解していたことである

物理学では 小林 益川理論で両氏がノーベル物理学賞を取った時の あの難解な理論を勉強して読み解きインタビューをしていたことである 後からこの時の談話が単行本になって出たので私も物理屋の端くれ 買って読んでみたがいまいちわからない所があり 物理学者でもない立花氏がにわか勉強で本まで出す探求心には 世の中にはすごい能力の人がいるものだと唯々驚愕したものであった

しかし この立花氏の勉強で これはどうしてなのかと思う研究がある 臨死体験の研究である 簡単に言うと心肺停止に陥った人が 又 生き返ることがある その時経験した世界を覚えていて きれいな花園に囲まれた世界とか 一条の光が穴のようなところからさしている世界を経験したなどと言う 言わば 現世とあの世とがあって これらの体験者は あの世 を垣間見たことになる あの世の存在の証明という事にもなる

この臨死体験は酸素不足に陥った脳がもたらす幻想であるという科学的な説明もある

さて これからは私見で勝手な想像であるがお許し願いたい 立花氏がこれらの疑似科学のような学問に取りつかれたのは 氏が現世だけでなくあの世があればという希望があったからだと考える 3万冊の知識で武装した氏の脳のネットワークは氏の死によって解体されて0になる

(a) x(0)= 0 という式はaがどんなに大きな数でも成り立つ 0をかけるとという事が死であると私は思う 

aが小さい人でも立花氏の様に極めて大きな人も死んでしまえば皆同じで 神様は平等である 立花氏は営々として築き上げた脳のネットワークをあの世にも引き継ぎたいと考えていたのかもしれないが氏は滅びても 残された氏の書いた100冊の本は誰かによってその考えが引き継がれることと思う