教科書1

昔の漫画に5000年後の歴史の教科書と言って 未来の高校生らしい生徒がそれこそ広辞苑の2倍もある様な厚さの歴史の教科書を読んでいるのがあった つまり今のピッチのまま歴史を書き続ければ歴史の教科書はだんだん厚くなってしまう 漫画としては面白い発想であるが これでは歴史の授業だけで精一杯と言うことになり その他の学科を習うのが不可能になってしまう それで未来は日本が5000年後も存在していたとして 現在の日本史の教科書が300頁あるとして  この部分を多くても1/3,1/4ぐらいにまとめることが必要だろう 大化の改新明治維新は10,20行の記述になるかもしれない

ところで 私の習った文学の教科書は国語と漢文に分かれていた 国語は現代文と古文に 漢文は独立した分野で上級生になる現代漢文があったと思う 頼山陽など日本人の書いた漢文もたくさん出てきたが 中国の十八史略 論語で 子のたまわく と言うと時代劇の寺子屋を思い出す 現代漢文とは今使われている中国語のことでこれを レ点などを付けて読むわけです 

現代文は徳富蘇峰国粋主義的な文から 徳富蘆花の自然と人生など 高山樗牛の美文 上田万年 芳賀矢一 の文 石川啄木の和歌 明治天皇の御製 北村透谷の文は難解で教えている先生が俺にもわからんと言っていたのを思い出す

数学の教科書は代数と幾何に分かれていた 代数は 因数分解 連立方手式 2次方手式 級数はあったが 今教えられている行列式はなく微分積分などは大学で習うものであった 幾何の授業は代数と同じぐらい時間を当てられていた 三角形の5心(重心 垂心 内心 外心 傍心)などの証明を思い出す 私は式の展開は間違ってばかりしていて苦手で 幾何の方が考え物的で好きであった 式の展開では数学の本名Nあだ名K先生を思い出す 式の展開や計算が見事に速いのだ 私は恐れ入って見ていた

数学者で文筆家の藤原正彦の本を古畑病院で読んだが 氏は数学の教育は時代とともにだんだん高度なものになってきていると言う 私も実感として微分積分やベクトルの計算が高校で教えられている事は 今の高校生は大変だなと思う

天文や地質などを総合した地学と言うものはなく 博物と言う学科に鉱物や岩石の分類学があった 

生物学はDNA発見の前であるから二重らせんはもちろん メンデルの法則もなかった 代わりに梅や桜はバラ科 松や杉は松柏類と言った牧野富太郎の植物分類学が主であった