こうじょうの月2

その後Hさんは若いリハビリの指導者理学療法士のため 休憩時間にお婆ちゃんたちと 名曲 荒城の月 を歌って見せたという ついでに 工場の月 に当たる 炭坑節も披露したそうである

それから1,2週間たった頃 実は若い頃 荒城の月 を英訳したことがありました これはその時の英訳ですと よろしかったらとプリントを手渡してくれた

春 高楼の 花の宴

Flowery feast in spring high up in the castle

めぐる盃 かげさして

Cups of sake were passed around

千代の松が枝 分け出でし

Lit by the moonlight through the old pine branches

むかしの光 今いずこ

Where is the old moon light now?

Hさんの翻訳プリントをそのままのせたものである 英語の素人 私が批評するのはおこがましいのであったが ウワー立派な英訳ですね 驚きました 

歌詞の2番3番もあるのであるが載せていない 病室に戻ってあらためて英文を読むと なるほどそうだったのかと長年分からなかったことが 明らかになった 分からなかったのは 千代の松が枝(え) 分け出し(いでし)のところである これがどう続くのか分からないままに歌っていた 千年にもなる松の枝の間を通り抜けきた光は 武将たちが交わす盃の酒をきらりと照らしている その光はい今 いずこかに消えてしまった と解釈すると全体が繋がる

小中学生の頃家にあった楽器はハーモニカである ハーモニカは音符が読めなくてもメロディーが頭に入っていれば吹くことができる不思議な楽器である このハモニカの十八番が荒城の月であった

Hさんが現役の時どんな仕事をしていたか興味があったが聞かなかった Hさんも私が何をやっていたか聞かなかったからだ

Hさんの歌ったもう一つの工場の月(炭坑節)も載せておこう

月が 出た出た 月が出た ヨイヨイ

三池炭鉱に月がでた

あんまり煙突が高いので

さぞやお月さんけむたかろ サノヨイヨイ

こちらはHさんの英訳がない

こうじょうの月

もう今から2年も前になると思われるが 骨折を起こして自衛隊中央病院へ入院 その後 引き続いてリハビリテーション病院に入院した リハビリ病院は今から考えると入院者の幅が大きく 高齢者にまじって中年の人や若い人もいた 食事は病室でとるのではなくデールームと称する休憩室兼食堂でとる 席は決まっているわけではないが自然と同じところに座ることが多い Hさんは私とほぼ同年でいつも私のはす向かいに座っている そんなことでつい親しくなった Hさんも私と同様に耳が遠かった 会話をするときはついのり出して話す Hさんの上品な物腰から もしかして京都のお公家さんと関係がありますかときいたほどである それにはわけがあり Hさんの名前を披露しなければならない 東苑 がその名前である いやそんなものではありませんとの答え

この頃はまだ自由に訪問客が出入りをしていた H夫人が訪問に来た時 このひとは 名前でずいぶん得をしていますとのお話があった

そんなHさんも私も理学療法士の指導をうけてリハビリの課題をこなしている この理学療法士はとても若い Hさんの話だと なんかのついでに 荒城の月の話が出て 若い理学療法士さんに知っているかと聞いたとき 知りません 工場の月ですか と答えた あの 土井晩翠作詞 滝廉太郎作曲の有名な 春高楼の花の宴 で始まる 歌も知らないとは 時代の開きを感じましたとの事

私が工場の月と言えば あんまり煙突が高いので さぞやお月さんけむたかろ という炭坑節ですね と言うとその通りですねと笑った そのHさんが あるとき 朝にあんなに晴れて良い天気だったのにもう雨模様ですよ 天気の変わり目がはやいですねと言ったので 女心と秋の空 と言いますからね と私が言うと なるほどと破顔一笑 小さな声で話したつもりであったが二人とも聞こえが悪くつい大きな声になったのであろう となりのオバーちゃんにも聞こえてしまった そして 男心と秋の空ですよと訂正されてしまった

これには後日談がある

野球のサイン

オリンピックが終わって 始まったのが高校野球 2つの強豪校 横浜と智弁の試合を見ていた 横浜はランナーをだすものの ここぞというときにヒットが出ず5対0と負けてしまった 前から気になっていたが塁審がアウトの時こぶしを振りあげてアウトを示す これはアンパイヤ―がストライクのとき同じようにこぶしをあげてストライクを示す

 

私の疑問は アウトはネガティブな事実 ストライクは良い事実 どうしてそれが同じサインなのかということである そんなことは昔から決まっているので疑問を持つほうがおかしいと言われそうであるが ふと気になったのである

それで この矛盾を考えてみた 攻撃側からアウトは悪い事実なのは間違いないとして ピッチャーからの球がストライクなのは守備側から見れば良い事実であるが 攻撃側からだと悪い事実である だからすべて攻撃側から見れば アウトと同じネガティブなサインでよいことになる つまりストライク1は 1/3アウト ストライク2は2/3アウト ストライク3は3/3アウト つまり本当のアウト 塁審も主審も攻撃側から見てサインを出しているのだと気が付いた そんなことを今頃気付くなんてどういう事と言われそうだが 私と同じ疑問を持っている人もいるかもしれないと あえて記事にしてみました

オリンピック2

IOCに押し切られたオリンピックだったとあるメディアはのべている そうかもしれない しかし オリンピックが始まってみると単純な私などは面白く見入ってしまった それまでのテレビがコロナのニュース一色であったために こんなことを言うと怒られそうだがすこし食傷気味であった そこにオリンピック一色のような放送が始まったのだ 史上最多のメダル獲得 知らなかった3人制のバスケット 普段はあまり見なかったゴルフなどルールが理解できると面白いのが分かった

中でも野球が面白かった というのは野球のルールを一番よく知っていたからだと思う 日本は全勝で金メダル アメリカは日本に2回まけたことになり 野球発祥の国として面目を失いさぞかし残念であろう しかしこれはそうでもないらしい MLBが協力せず そのため日本で助っ人選手として働いているアメリカの選手を代表に選んだ だから日本選手対助っ人外人の試合みたいになっていた でもオリンピックで金メダルを取るのは容易でない 前の北京オリンピックでは侍ジャパンは銅メタルさえ取れなかった 指揮官は星野仙一 それまで星野さんは名将として評判が良く 国民にも愛されて尊敬されていた それがこのありさま 星野さんに 次にまた重要な役目をやったほしいとと言われたとき 今 火だるまに様になっている俺に何をやれと言うのですかと辞退したのを覚えている それに比べると稲葉監督は良い采配をしたと思う 全勝したと言え楽勝した試合はなかった いずれもひやひやしながら見ていた 特に後半戦が強かった 個人の感想としてクローザーの栗林投手には驚いた 9回の裏打たれれば敗戦につながるので責任は重大で それでもその強烈な圧力に潰れもせず淡々と投げている なるほど守護神と神の字がついているのはうなずけると思った 

いまコロナの罹患者はと急増して東京の一日に5000を超えることがある これはオリンピック開催と関係があるのだろうか 無観客なので直接的な影響はないいと思う しかし コロナの事態がひどくなっているとはいえ オリンピックというお祭りをやっているのだからと 人々の心がルーズになったしまったことが考えられる 中止になっていれば 国民がこれは大変な事だともっと自粛をしていたかもしれない しかしコロナ罹患者のネガティブなニュースは続くだろう 出場した外人選手は競技をやらせてくれた東京にありがとうと感謝をしていたし 大活躍であった日本選手には明るいニュースをありがとうと言いたい

 

  

オリンピック

何事も異例ずくめのオリンピックが無事終了した コロナというパンデミックのさなかで 何の為のオリンピックと言う人も多くいて 本当にやるのかやらないのか分からなかった そんな時 ある外国の選手団が参加のため早々と入国してきた この時 これは何とかしてやらざるをえなくなったなと思った 中止になりましたのでお帰り下さいとは言いにくいのではないかと思ったからである

開会式も閉会式も見ていたがその参加国の多さには驚いた よくも まー コロナで緊急事態の発令されている日本に来て下さったものだと感心した 世界の人々も選手たちの激闘を見たかったのだろう 

パンとサーカスと言う言葉があるが ローマ帝国は人民が国家に不満が出ないように 十分の食べ物(パン)を与えて エンターテインメント(サーカス)も用意した それが成功して長い間の覇権を維持し続けた 人民が不満を持つと反乱が起こったり 戦争の原因ともなりやすい 前にどこかで見た記事であるが 長い間戦争をして疲れ切った2国が お互いに代表する選手を出して戦わせて勝ち負けで決着したというのがあった その結果多くの戦死者を出さずに済んだ このようにスポーツは人々の闘争心を中和する役割があるとする説がある  

競技種目の多さにも驚いた これだけの多くの競技をする会場を整備するのに多くの人々の働きと費用は膨大なものになるだろう もし中止になっていた場合全部無駄になり 切磋琢磨してきた選手たちの努力も無駄になるだろう

無観客ゲームであるが国立競技場でやるゲームで おや たくさんの観客がいるように見えたがこれは競技場の椅子がカラフルで人のように見えたのだった   無観客でのメリットを考えると 観客を入れた場合 観客は日本人が多く 外国の選手にアウエー感を与えるかもしれない これが無い 日本人もテレビで見るほかなく蜜をつくらないなどであろう

とにかく 無事に終わった これは平和だからと思う パンデミックのさなか平和であるというのは矛盾しているかもしれないが あれだけの世界中からの選手が喜んでいるのを見ると世界に大きな戦争がないからだと思う

 

挟むボール

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デーケアのゲームはルールが大変簡単である 今度の挟むボールも箱の中に入ったボールを二本の棒で挟んで他の箱に移動させるだけ ボールはテニスボール位の大きさに丸めた紙のボールをビニールテープで外装してある その他本物のテニスボールやピンポン玉も入っている 私の番が来て 状況を見たとき これは楽勝かと思えるくらい簡単に見えた ところが間違いであることがすぐわかった ボールをつまむことはそれほど難しくない ところが ボールを持ちあげようとするとボールが動き回転して落ちてしまうのである しまったと焦っているうちにブザーが鳴る 驚いたことにはたった2個しか移動できなかった 少し恥をかいてひきさがったが 他の人も似たような点の人がかなりいた

後から なぜ失敗に終わったのか理由を考えたが とらえたボールが動いて回転してしまうのは 持っている棒が動いてしまうからである ピンセットなら動かしても左右の棒はいつも同じに動くのでボールは回らない そうだ ボーをピンセットの様にして持ち上げれば上手くゆくはずである この原理を使ってなんと17個のボールの移動に成功した人が出た 私よりかなり若いMさんである

Mさんは2本の棒先を片手で持ち(図で示すとAの部分)2本の棒が勝手に動かないようにした そしてボールを挟むのはBの部分を調節して挟み移動させた ボールを持ち上げてもボールが棒の間で動かないので これが大成功を生んだ なるほど考えましたねとMさんに拍手を送った

風鈴作り

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工作の工程図

月曜日のデーケアは何かのゲームか物づくりの課題がある 夏という事で この日は風鈴づくりだという 風鈴の色は選択できるので 黄緑にした 黄緑の短冊が8枚これでまず4枚の十字架状の物を作る これを重ね合わせて16枚に均等に分かれるように貼りつける 絵にはかいていないが短冊の端は底になる輪っかに糊付けができるように少し折り曲げておく

輪っかに 16枚の短冊を貼り付けるとざるのようなものが出来上がる このざるを逆さにすると風鈴の胴体になる 上手く糊付けができるかがうまい下手の分かれ目であった お婆さんたちは丁寧に一つずつ糊を付けて張り付けた後 その対象となる短冊を貼るようにしていた しかしこの貼り方は時間と手間がかかてしまう 私がやった方法はあらかじめ16枚の短冊の端端にのりを全部つけておく そして次から次と輪っかに貼り付ける これが失敗であった のりは紙だけであなく手にもくっついて余計なところを貼り付けてしまう しまったと これを修正しているうちに時間が来てしまった いびつの風鈴が出来上がったがしかたがない これでいいのだ と風鈴は持ち帰りができるので持ち帰ったものを写真にしておいた お婆さんたちのものは均整の取れたきれいな風鈴になっていた やはり粗雑は良くないと反省しました

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出来上がった風鈴

下の短冊は デーケアが用意してくれたもの 風鈴と言いながら紙細工だからチリンとならないと思っていたら 下の短冊に付けてある鈴がチリンと小さな音を立てていた